自作および他の作家の本を紹介します。
 
『よみがえれ、えりもの森』 
  
第50回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(小学校・中学年)
第50回青少年読書感想文全道コンクール指定図書

  
環境絵本『よみがえれ、えりもの森』
  • 作品の舞台を訪ねて
  • 読者からの感想
  • 環境絵本『やんばるの森がざわめく』
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  • 『やんばるの森がざわめく』につづく環境絵本刊行
    北海道・えりも町を舞台にした、日本版「木を植えた人の物語」

    『よみがえれ、えりもの森』

    文・本木洋子絵・高田三郎
     

    <作品の舞台を訪ねて>

     9月下旬、絵本の舞台となったえりも町を訪ねるために、北海道に行った。画家の高田三郎さん、新日本出版社の編集者である丹治京子さんと、札幌から高田さんの運転する車で4時間の旅だ。
     朝の8時。高速道路の終点近い苫小牧付近を走っていたときだ。3人が同時にガソリンのような異臭に気づいた。狭い車の中がどんどん臭くなっていく。「ガソリンがもれてる?」みんなそう思った。「おかしいよね」「爆発するかも」と騒ぎながら、料金所で車を停めて点検。ボンネットを開けて調べたり、しゃがんで車の底をみたが、なんでもない。みんなで首をかしげながら、車のせいではないことがわかったので、えりもに向けて勢いよく走り出した。
     あとでわかったことだが、苫小牧にある出光興産の石油タンク大火災の2時間前だった。
     報道によると夜のうちからもれていたらしく、住民たちが苦情の電話をかけていたということだ。
     十勝沖の大地震や火災など、今回は災害との遭遇の旅になってしまった。
     それにしても高田さんの車は速い。高速道路では150キロ、一般道でも100キロの猛スピードで走るものだから、丹治さんと二人で文句たらたらいうのだが、聞く耳なし。たしかにひろーい北海道、100キロくらいではスピードを感じない。当たり前の速さにはちがいないのかなあ? と、わかったような気もするが(こわかった!)……。

     えりも町は2年ぶりの訪問だった。
     まず作品のモデルとなった飯田常雄さん宅を訪問。腎臓を病んでいる常雄さんは2年前に比べて、やはり体力が弱っているらしい。奥さんの雅子さんともども、絵本の完成を喜んでくれた。話は専ら、津波など地震のこと。岩盤の上にあるえりもは、周辺の地域に比べて被害はほとんどなかったというが、玄関には非常用のリュックが、いつでももちだせるように、まだ置いたままだった。
     その後、3人で森を歩く。クロマツの森にカシワの若木や秋グミなどの潅木が生い茂っている。ただ海岸沿いを走っているだけでは、この森がどんな運命を背負って生まれたかなんてわからない。ところどころにある看板にも「人工林」としか書かれていない。
     百人浜の展望塔にスコップとクロマツの苗が置いてある。3人で1本ずつ植林をした。そこここに、ハマナスの残り花がまだ咲いている。
    1時間ほど砂浜を歩いて貝拾いをした。えりもの浜だけにいるチョウチョウガイをみつけ、波に洗われ真っ白になった貝を拾う。これは高田さんが作るランプシェードの材料になる。それぞれが言葉を交わすわけでもなく、海をながめ、足元をみつめながら、ただもくもくと歩いた時間だった。
     えりも町は観光の名所にはなりにくいところのようだ。強風体験ができる風の館があり、岬からは沖までつづく岩礁が眺められ、その岩礁にはゼニガタアザラシがいる。そのアザラシも早朝のウオッチングのほかは、発見しにくい。
     北海道の観光地のなかで、えりもはかなり不便な所だ。有名な温泉や湖などのついでに行くという便利さがない。鉄道も通っていない。岬には土産物店が数件あるが、たまにバスが一台停まっているくらいで、森進一と島倉千代子の「襟裳岬」の歌が風に流れている。
     砂漠を森にした長い歴史が、人びとの闘いが、もっと多くの人たちに知られていい。今の私たちが、えりもから学ぶことはたくさんある。エコツアーや修学旅行などで実現できないものか。
     真っ暗な夜の岬からは、遠ざかりつつある火星がひときわ輝いてみえた。天の川は白く、さそり座や射手座など星星が、天空をうめつくしていた。なにしろ目の前には望洋とした海しかなくて、私たちは人家もない岬の突端にいるのだから、こんな景色は、めったにお目にかかれるものではない。ぜいたくな至福のひとときだった。

     翌日、町役場を訪問。町長さんと教育長さんに本をお渡しした。町長さんには、えりもの貝で作ったランプシェードをお土産に。学校や図書館での普及をお願いする。

     帰り道、帯広空港まで高田さんに送ってもらう。えりもから広尾までの海岸線「黄金道路」は地震のため、いつ通行止めになるかわからないから、日高山脈の谷あいを走る「天馬街道」のコースをとる。雨にけぶる日高山懐は紅葉がはじまり、冬を迎えつつある山の冷気が車の中にも忍びこんでくるようだった。












    <読者からの感想>
    まだ出たばかりなので数は少ないですが……。寄せられた感想を掲載していきますので、お寄せください。

    ●緑を失って、コンブ漁を生業とする人々も生業を失って、 村人たちの50年の歳月、失敗をくりかえしつつも絶ゆまざる緑の育成。
     コンブ漁よみがえる。人は緑を育て守ることで、その緑に守られるのですね。
     最近の保育行政を批判的に書いた本に、祖先が大事に育てた森林の木々を孫の代の人々が切り倒して、木の数を減少させているが、その減少とともに日本の少子化が進んでいるのは、なぜか? 著者は、その応えを提示しませんでしたが、「よみがえれ、えりもの森」の中にそれが読めるような気がします。
     沖縄は、コンブ消費量は日本一だそうで、もしかして、主人公の常雄さんたちのコンブが、こちらの食卓にあがっている、と思います。台風被害で畑の野菜がダメ、流通がスムーズにできなくなって、スーパーにも野菜がなくなる台風後には、コンブや緑のパパイヤ料理が食卓に上がります。コンブ漁は、沖縄にとっても大切な産業です。
    という事で、南の島の私たちにとっても、興味深い身近な物語です。 (沖縄県Hさん)

    ●環境シリーズのご本、底流に「自然への畏怖」というか古代人の祈りを感じます。
    「魚の森」のことはよく聞きますが、流氷が海を掃除してくれるなんて!
    人間って、ほんとうにちっぽけなちっぽけな存在なのですね。大きな顔していますけど。(香川県Mさん)

    ● 十数年前、えりもでコンブ採りをみました。こんな物語があったことを知りませんでした。常雄さんの言葉が心に響きました。息子さん、孫と、その言葉が受け継がれ、木が植えつづけられていくことに感動しました。森をなくすのも人のなせるわざですが、こうした生活、生き方が、私たちに本当の力を与えてくれるとも思いました。高田さんの絵も力がこもっているなあ。(東京都Mさん)

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    『やんばるの森がざわめく』 本木洋子 文   高田三郎 絵

    人間が捨てたネコが、森でヤンバルクイナを狙っている。森に出かけたおじいとリン。

    シヌグ祭りで、山のカミさまになるおじいとリンは、森と共に生きる人だ。

    森の命を守る人間の物語。

    『やんばるの森がざわめく』の
     舞台をたずねて

    2001年8月27日

     絵本の舞台となった沖縄県国頭村の安田を訪れる。4度目の訪問だが、安田までは遠い。沖縄本島北部の名護市から車で1時間半はかかる。西海岸を北上し、与那からやんばるの山を横断して東海岸にでると、まもなく安田にたどり着くのだ。
     今日から2日間行われる安田のシヌグ祭り。1年おきに実施される祭りだから、今年をのがすと再来年になってしまう。絵本の原稿をかいたのが1年と少し前だったから、資料だけでイメージするしかなかった。
     作品をかいた者として想像と実像とのくいちがいは、もっとも心にひっかかる心配事だ。想像力を駆使して描いたことと、実際の事柄が一致するか、それとも大きくかけはなれるのか…
     特にシヌグ祭りは、私の知っている全国の祭りの中で異例のものだった。東南アジアのインドネシアかマレーシアかフィリピンあたりの熱帯林にすむ先住民が伝え、守ってきた自然の神々の祭りと同じイメージがある。日本の祭りの知識や感覚は役にたちそうにもない。
     いよいよ祭りがはじまった。
     いつもは静か過ぎる集落に、里帰りした人々をふくめて、人が行きかい、家々の戸はあけはなされ、たった1軒の共同売店では子どもたちが買い食いをしている。38人しかいない安田小中学校も、この子どもたちが戻ってくればいいだろうにと思う。
     公民館の前で、山ヌブイをする男たちが身につけるガンシナー(藁の帯)を編んでいた。
     昼、男たちが山に登りはじめた。
     集落を見下ろす3方の山から、山のカミとなっておりてくるのだ。女たちが集まりはじめた。山のカミを迎え、お祓いをしてもらうために、カミの通り道になる辻に集まって待つ。
    見上げると、 メーバの頂近くで人の影が動いている。木の間越しにちらちらと見え隠れしている。
    やがて、空から太鼓の音がふってきた。
     いよいよ、やんばるの山のカミたちが、人の世におりてくるのだ。合図の音にまじって「エーへーホーイ」というカミの声がかすかにきこえてくる。
     太鼓の音とカミの声はしだいに近づき、やがて、集落はずれの木立の間から先頭の大太鼓をもったカミが姿を現した。全身を草でおおい、頭の冠にはミーファンチャの赤い実を飾っている。子どものカミ、お父さんのカミ、おじいのカミの勢ぞろいだ。木の枝をもったカミたちの行進を女たちが迎えた。
     カミたちは「スクナーレ」と声をかけながら、木の枝をふってお祓いをしながら、集落の通りを海に向かって進んでいく。
     暑い! 朝、雨がふりそうだった空が、しだいに晴れてきて、借りてきた雨傘を日傘にする。愛用の2台のカメラをぶらさげて、祭りの追っかけに燃えている自分が、やけにうれしくなる。
    大勢のカミたちは海にたどりつくと、また山と海に向かい祈りをささげ、それから山の衣を脱ぎ、村の男にもどった。目の前に無人島の安田ヶ島がみえる。白い砂浜が日にまぶしく輝いている。
    さんご礁の海からぞろぞろと村にもどる途中、前を歩いていた3年生くらいの男の子が、父親を見上げていった。
    「やっぱりシヌグ祭りは楽しいね。男でよかった」
     ほこらしげな声に、私はそっとつぶやいたのだった。
    「夜は、女たちの出番だよ」
     そうなのだ。日が暮れると、こんどは女たちがそろいの衣装を着て、ウシンデークの舞を踊るのだ。
    沖縄本島の北にある小さな村。そこには自然の恵みに敬虔な祈りをささげる人々が生きている。









    『やんばるの森がざわめく』を読んだ人たちの感想を一部ですが紹介します。

    ■やんばるの森の神秘的な静けさが伝わってきました。森の自然と人間が一体になる様。そのなかでシヌグ祭りの夢をみるリン。沖縄の人たちの自然観、宗教観を新鮮に感じました。絵本を読んだあと、自然への思いが強烈に心に残りました。(島根県Iさん)

    ■絵本を読み終わって閉じたとき、いちばん心に残ってたのは、「山に向かっていのる。海に向かっていのる」という言葉でした。今、わたしたちが忘れてしまった大事な心ですよね。美しい絵なのに、この本は胸がきゅっとなります。(香川県Mさん)

    ■人間だれでも心の底に原始の火をもっている、その火を絶やさないで痛いと、いつも思います。この絵本は、そんな人間の心の火に息をふきかけてくれました。本を閉じても、私は火の前にすわり、闇をみつめる自分を思いました。(埼玉県Hさん)

    ■やんばるの森を私は知らない。でもこの絵本を何回もあきずに見、声に出して読んだりしながら、深い森の空気に一瞬つつまれた気がした。言葉が詩のように生きている。絵がいい。南国のまぶしい光、森の深さ、暗い闇が実感できる。満月の明かりと影、この場面の言葉もいい。夢と現実があいまいでも、夢からそのまま祭りへ。祭りで盛り上がり、最後のページがまたいいですね。沖縄にいきたくなりました。私はまだこの絵本を、うまく自分の言葉として声に出せないでいます。でもいつか、子どもたちに読んであげたいと思っています。そんな大きな課題を与えてくれる絵本でした。(東京都Oさん)

    ■一日神の物語、時代を撃つ1冊である。「です・ます」の猫なで声を捨てて、詩の文体にしたのが大成功。ただ神の迫力が、リンの夢の中のことなんでしょう。その分裂の弱さが惜しい。(北海道Kさん)

    ■この本を読んで、森のざわめきを自分の耳で、肌で感じたくなりました。深い闇にとり残された少年の気持ちが伝わって、それゆえに自然と共に生きることの大切さを実感しました。(愛媛県Mさん)

    『やんばるの森がざわめく』がSLBC(スクールライブラリーブッククラブ)の選定図書になりました


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