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第5回―国境の町―ポイペト―

 バッタンバンからタイに向かって西へ、途中からは舗装もはがれたガタガタ道を車にしがみつき4時間あまり走ると、国境の町ポイペトに着く。
この町はタイの豊かさとカンボジアの貧しさが、目に見えてわかるところだ。国境検問所にさしかかると、道の両側にまばゆいばかりの白亜のビルが建っている。カジノで、ここに入れるのは金持ちだけ、しかもクメール人は入ることさえできない。
私達は見学を兼ねてトイレに行ってみることにした。入り口で空港にあるようなチェックを受けると、豪華なロビーがある。カジノの一端にふれるのはこのロビーからトイレまでだが、それだけでも目がくらむような雰囲気だ。久しぶりに清潔なトイレに入って、気持ちが落ち着く。カジノにカンボジアから入る車はみかけなく、タイからくる高級車ばかりだった。
カジノの先には橋があってタイ入国のビザをとるのだが、大変な混雑だ。写真を忘れてしまったため、20ドルものお金を取られてしまった。橋のたもとには物乞いの人がずらりと座り込んでいて、そこを知らん顔して通りすぎるにはあまりにも痛々しい光景だ。なかにわずか1歳くらいにしかみえない女の子が二つに折った両足の間に腰をぺたりと落として座っていた。見開いた目はどこを見るでもなくうつろで、命の火が消えかかっている、そんな女の子だが、私にはどうしてあげることもできない。
反対側の道には体中にケロイドのある女性がいたが、それは哀れみを誘うために焼かれたものだという。橋の下は人身売買された子どもたちがカンボジアからタイへと渡る闇の道だ。人買いロードを通って、何人の子どもたちが売られていったのだろう。カンボジアから売られていくのは月に900人はいると言われている。
タイ側のアランヤプラテート村では、働いている12歳の子どもの話を聞いた。彼らはカンボジアから毎日通ってきていて、一日中ダンボール箱を集めて仲買人に持っていっている。ストリートチルドレンもたくさんいる。
カジノを後にして少しいったところのスラムを訪ねる。そこは私が支援を約束した子どもが、祖母といっしょに暮らしていたところだが、その祖母ももういない。ふたりが住んでいた後には若い叔父さんという人がいたが、ここに戻ったら、その子はタイに売られていくという結末がみえそうなかなり身持ちの悪そうな人だ。
「貧困」という言葉が、カンボジアではどこにいっても生々しく心に突き刺さって迫ってくる。
スラムをでてしばらくしたところの、でもここもスラムの延長で、すこしはましな道筋にちいさな美容院があった。若者の家から自立した20歳の女の子が経営している美容院だ。2坪もない狭い店で、彼女は誇らしげに美容師としての仕事をしていた。
安穏に生きている者が、どん底から立ち上がろうともがきながら生きている者たちのことを、わが身としてとらえられないのは、どうしようもない現実だ。哀れみではなんの解決もしないことを知っているから、どうしようもない思いをいつもひきずって世の中をみているしかないのだろうか。帰り道、ガタガタと揺れる悪路に痛くなった腰をさすりながら、そんなことを考え続けていた。



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