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第6回―最終回―タ・プローム幻想―

 朝早くバッタンバンを出発し悪路を走りぬいて6時間、シェムリアップについたのは午後2時頃。
途中トイレ休憩1回だけで、体はガチコチと骨が音を立てているように硬くなっている。
シェムリアップは、カンボジアで首都よりも有名なアンコールワットで知られる世界遺産の町。世界的な観光地らしく、これまでみたどの町よりも人が多く、しかも外国人が多く、いかにも観光の街といった風情で賑わいをみせていた。
ここは、戦場カメラマン一ノ瀬泰造が滞在して、行方を絶った町だ。「いつかカンボジアにいきます」信子さんと約束したときの言葉がよみがえってくる。
残念なのは泰造が眠るプラダック村まで、スケジュールの都合上いけないことだった。それでも、やっと来たという思いに、ひとり胸を熱くして遺跡を歩いた。
クメール・ルージュが占拠するアンコールワットに潜入して写真を撮るのが、泰造の夢だった。 日暮れ近くにタプ・ロームに到着。ここは遺跡が発見されたままの状態で残してある。
人間が作った建造物が自然の力に食い尽くされていくすさまじさを、訪れる者たちにみせている。もう人影もなく、落ちていく夕日に急ぎ足で歩く私達の前に、自転車に乗った青年が現われ案内をしてくれるという。
警備員か警察といった服装の青年で、こちらは女性4人の強さもあって、彼のあとから奥へと導かれていったのだが、どこもかしこもガジュマルの巨木が遺跡と同化するかのように一体となって生きている。ひとつひとつの光景が哲学的な存在感をもって、胸にせまってくるのだ。
やがて建物は朽ちていき、人間が作ったものは跡形もなく消えていく。建物に寄りかかって生きている巨木は、そのときどうするのだろう。寄りかかったままの姿勢で更に生きながらえるのか、それとも同時に根こそぎ倒れて建物と一緒に朽ちていくのか。それはいつのことなのだろう。あと200年とも300年ともいわれているそうだ。
そんなことを考えながらいちばん奥にたどりつくと、青年は挨拶をして戻り道を示し、自転車で去っていった。あたりはますます薄暗くなり、遺跡は夜を迎えようとしていた。
タ・プローム、ここはアンコール遺跡群の中でも、とりわけ異次元的空間であった。
いちど徹底的に破壊されたこの国は、これからどんな運命をたどるのだろう。国づくりをする若い人びとは育つのだろうか。私が支援する若者は、どんな人生を送っていくのだろう。
わずか26歳で亡くなった一ノ瀬泰造への思いから始まったこの旅は、彼の終焉の地で終わった。「きっと、また会いにくるからね」子どもたちとプラダック村で眠る泰造への別れの言葉だ。

―おわり― 2006.2.9



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